博士の異常な愛情




絨毯の上に俺の舌が落ちている。
途中で食いちぎられて、歯形のまわりで血が乾きかけていた。俺はまだ止まらない血を飲みこみ続けていて、藍染様はそんな俺をしばらく眺めて一言、「彼はそんなこと言わない」と言うと部屋を出て行った。一人になってようやく舌を拾うことができる。ざらざらになったそれを潰さないよう手の平に包んで涙が出た。死んでくれ。




(または如何にして弟は壊すのをやめて蟲を愛するようになったか)








「また怒られちゃったの?」

ザエルアポロが優しい口調で俺の口に指を差し込んでいる。上顎を持ち上げて噛みち ぎられた舌に触り、また派手にやられたねと眉を寄せた。血はまだ止まらない。 口に溜まっていく血と唾液は、しかし指を突っ込まれてるせいで飲み込めず、溢 れたそれは差し込まれた指を伝ってザエルアポロの手にこぼれた。

ザエルアポロはああごめんと言ってすぐに指を抜き、汚らしく糸を引くべたべたの手の平を、なんでもないかのように軽く払って、そのへんにあった布巾で俺の口をぬぐった。


「舌はある?藍染様がのみ込んじゃった?」


俺が手の中のものを見せると、次からはもっと早く持ってこい、と溜め息をついた。それから俺にいつもの手術台に横になるよう指示し、部屋の奥に消えていく。
ステンレスの台の上に仰向けに横たわると、硬くて冷たい感触が背中に直接あたって少し痛い。向こうから器材を動かすがちゃがちゃいう音と一緒に「新しいのつけるついでにいつものもやっとくよ」と声が飛んできた。しばらくすると、水槽と舌の入った瓶と銀色のトレイを載せた台車を、ザエルアポロがゴムの車輪を軋ませながら押してくる。


「メンテナンスを先にしとくよ。舌は最後」


そう言ってトレイからメスを取り出すと、俺の胸に差し込み、そのまま静かに腹 まで滑らせていく。腹の穴の上ぎりぎりまでまっすぐ引いた線に、ザエルアポロの細 長い指が潜りこむ。そのまま皮を左右にみりみり剥がすと、中から虫の死骸がぼろぼろとこぼれた。


「ああもう…またこんなに死なせて」


強情だなとぶつぶつ呟きながら、黒く縮こまった虫をピンで取り除いていく。空 のトレイが死骸でいっぱいになると、今度は、水槽から生きた虫を取り出した。 親指くらいの大きさで、指でつつくとボールのように丸まる。
ザエルアポロはそ れを掌の上に載せ目の前にかざすと、楽しげに「おぞけ」と囁いた。それを俺の腹に詰めると、水槽から次の虫を取り出した。


「不安、嫉妬、猜疑心」


歌うように虫に言葉をかけては腹に詰めなおしていく。これが俺の中身になる。虫がいなければ、俺はグリムジョージャガージャックという破面のかたちを模しただけの、ただの肉の塊でしかない。


「孤独挫折敗北」


腹の下で虫たちがごそごそ蠢いた。心と記憶と感覚が詰められていく。
ザエルアポロ曰く、この体はハードで虫はソフトなんだそうだ。いまいちよくわ からないが、こうして詰め替えないと俺は空っぽになってしまう。
虫が死ぬのは、この体に、とうの昔に死んだグリムジョーの心、というか、本能のようなものがまだ残っているからだ。それが弱い感情や、嫌な記憶を受け付けない。
だから虫はすぐ死んでしまって、そうすると俺は色んなことがわからなくなる。そうなる前に、ザエルアポロが新しい虫をくれる。俺は毎日たくさんの虫を詰め替える。


「さみしい」


虫をまた一つ詰めて、ザエルアポロが俺に笑いかけた。苦しくない?
別にと答えると、苦しかったらちゃんと言えよと言って、また虫を取り出す。「 悲しい」



さみしいかなしい、入れられてすぐにはまだわからない。
さっきまで持っていたはずの感覚のはずだが、今はもうわからなくなっている。



寂しいかなしい。
藍染様。



そんなこと言わない、と言った藍染様の顔を何故か思い出した。
あの時の感覚はすでに死んでしまってるから、なんで俺は泣いたのかなんてもう思い出せない。胸のあたりの虫がざわついている。ザエルアポロが不意に俺の名前を呼んだ。


「グリムジョー、イールフォルトのことは覚えてる?」

ザエルアポロが恥かしいの虫を詰めながら尋ねた。知らない名前だ。
少なくとも 今持ってる記憶にはない。首を横に振る(その動作で胸の虫が転がり落ちた)と 、ザエルアポロはそうだね、と言って満足そうに微笑んだ。


「僕の兄貴だった奴だよ」

「兄貴?」

「そう、兄弟だった」


そう言うとザエルアポロはなにがおかしいのか、声をあげて笑い出した。
兄貴だっ た、兄貴だったんだよグリムジョー、なあ。


「なあ、なにが悲しい?」

「殴られること潰されること舌を噛み切られること?痛いことばかりされること ?」

「それとも認められないこと?おいていかれること?愛されないこと?」

「愛してるのに愛されないこと?」

「それは悲しいかな」

「悲しいだろ?」


お前には難しくてわからないかなと言って、ザエルアポロは笑う。俺は反射的に 「お前じゃねえだろうが俺より下のくせに」と言い返した。そういうふうに造ら れていたからだ。感情はどうしてもこもらなかったが。


ザエルアポロが子どもをあやすように「はいはい」と言うのを聞きながら、それ は悲しいことだろう、と俺は思いはじめている。そろそろなじんできたのだ。
痛 いのは辛いだろう。認められないのは寂しいだろう。愛してるなら悲しいだろう 。




悲しい寂しい。
思い出すのは藍染様の顔。
そんなこと言わないと、お前はあの子じゃないと、そう言った藍染様の顔。あ れは。




「ひがみ、そねみ」


ザエルアポロが虫の背中を撫でている。笑いながら。とても楽しそうだ。
そして猜疑心 や不安がなじんだ俺は、そろそろザエルアポロの悪意に気付きだしている。「み じめ、悲しい、空しい期待」  なんでそんなのばかり。



「…俺はお前に何かしたのか?」


そう言った途端ザエルアポロが水槽に手を突っ込んだ。
笑顔のまま、ごっそりと、両手から溢れるくらいに虫を掴んで、キスでもするみたいに顔を寄せて口を開く。




「さみしいかなしいさみしいさみしいさみしい」




優しい表情とは裏腹な乱暴な動作で虫を押し込んで、またいつもの、虫を可愛が るのにとてもよく似た笑みを浮かべた。



「教えてあげないよ」



そして一際大きな虫を両手で抱え持ち、丸まったその背に今度こそ口付けると、
「 藍染様を愛す」と吐き捨てた。














(そして如何にして弟は愛するのをやめて彼を壊すようになったか)








絨毯の上にグリムジョーの首が落ちている。がたがたの切り口の血は乾きかけて いて、胴体のほうは溢れてきた虫に埋もれてしまっている。


「あの子はそんなこと、言わなかった」


同じ姿で同じ声で、どうして。
取り戻したと思ったのに。帰ってきたと思ったのに。
今度こそ手に入れたと、今度こそなくさないと、そう思っていたのに。




(あの子は愚かで短慮で浅はかでむしろ何も考えず何の恐れもなく何の躊躇もなくそんな醜い弱い感情なんか自分の肉ごと引き剥がして踏み潰して前へ前へ前へ、血塗れになって確実に死にながら胸を張って進むような馬鹿な、子で)
(そして僕のことが大嫌いだった)
(愛してるなんて)(愛してくれだなんて)(決して、)





「お前はグリムジョーじゃない」



…それでも。



「悲しいですか」



かつん、と靴音をたてて、あいつがやってくる。背後でしのび笑い。

首を抱きあげる自分を笑っている。それでも、同じ髪同じ顔の違う首を、それでも拾いあげる自分に、そいつはいつものように優しく笑いかける。



「悲しいのなら…また、いくらでも作って差し上げますよ」


そう言って、こんなものばかりを造って。
どうしたって、殺したってあの子を造ってはくれないくせに、知っているのに、それでも。



それでも。



それでも僕は、もう何度も何度も繰り返されたその問いに、何度目かもわからない頷きを返した。









end









ザエルアポログランツの復讐。 どっちにも怒ってたらいい。
グリムジョーは勝手に死にました