「Nobody's innocent in this shit」
鼻が馬鹿になっていて硝煙の臭いしかしない。
昨日も今日も外に出てすらいないのに、
部屋には冷たい泥と火薬なんかが混じった臭いがこもっている。
俺の銃と服から、手から髪から、血の臭いと混ざって、
それはまさしく、戦場の臭いなのだった。
俺たちは戦争をしている。
向かいのルピは鉄の臭いを纏わりつかせながら、
昨日まで偵察に行っていた敵国の話をしている。
死神の国。本当の国名なんか口にしたくもないから、俺たちは
勝手にこう呼んでいる。反対に
向こうではここを、獣の国、と呼ぶらしい。
ルピはけらけら笑いながら、死神は、僕らに理性などないと思っているよ、と言った。
「向こうで死神の女に会ったんだ。そいつ何をしたと思う?
生肉を投げたんだよ。それで僕に、あっちへ行って! って叫んだ。
肉は赤くて、薄っぺらくて、安っぽくて、
砂に塗れて、ぐちゃぐちゃだった。なんていうか、興味深いよね。あいつらにとって、
僕らはそれに尻尾を振って飛び付くような獣なんだよ」
笑える、そう言うルピは声とは裏腹にどろどろと暗い目をしている。本当なら多分
寝ていないと駄目なはずだ。呼吸はおかしな音を立てているし全身は震えている。
震えを誤魔化すみたいに笑って、ルピは一人で立っている。
あっちから帰ってきたこいつは傷だらけで、一緒に行ったはずのチルッチはいなか
った。ルピは何も言わないので、誰も何も聞かなかった。つまりはそういうことだ。
ルピの高い笑い声は途中で悲鳴のようになって、苦しげな咳に変わった。壁に手を
つき、吐くように長く咳こんで、それがおさまると、チルッチ殺したんだあ僕、と
掠れた声で言った。
「あいつ、あいつらに捕まっちゃったんだ。馬鹿だよね…馬鹿だから、頭撃って
殺してやった」
はは、と渇いた笑い声を吐くルピに、俺はそうか、とだけ言って頷いた。
武器の手入れが終わった。ナイフは磨かれ、分解し組み立てなおされた
突撃銃と拳銃は殺す準備が整っている。だというのに、
ルピの小さなリボルバーはひどく汚れたまま、ベッドの上に放り出されてい
る。血塗れの手形がグリップにべったりついてシーツを汚している。手入れ
をしようとして、手が震えて出来なかったようだった。ルピは壁にもたれるようにし
て立っていて、辛いなら座ればいいのにと俺は思うが、こいつは今座ったら、もう
二度と立ち上がれないのかもしれない。どちらにせよ、こいつはもう銃の手入れも
出来ない。それでも戦わねばならない。それにもう招集の時間だった。
俺は向かいのベッドに近寄り、ルピの銃を取り上げると、ルピの眼前に
突き付けた。
「遅いぞ」
ジープに乗り込むと、運転席のウルキオラがいつもの無表情で俺を責めた。
うるせえよ、答えながら俺は座席のシートで手の平の血を拭う。ウルキオ
ラは特に文句も言わず、黙って車のエンジンをかけた。
「ルピはどうした」
しばらく車を進めてからウルキオラはそう言った。視線はまっすぐ前に、ど
こまでも続く埃っぽい砂地に向けられている。「死んだ」と俺が答えてもそ
の白い顔に感情なんか少しも浮かばない。胸糞悪ぃな、と、言葉だけで思う
。俺も別段、何も感じなかった。
「お前が殺したか、グリムジョー」
「してねえ。やってやろうとはしたけどな、その前に勝手に死にやがった」
少し嘘だった。本当は殺してやろうとなんか思っていなかった。銃を渡して、
生きてんなら最後まで戦え、と言った。ルピは胡乱な表情で俺を見上げ、お前
らしいよと呟いて、目を閉じた。
「もういい」
最後にはっきりした声でそう言うと、それきり目を開けなかった。首筋に触れ
ると頭から伝ってきた血がべったりとついた。ゆっくり倒れていくルピの体は
片手で支えられるくらいに軽かった。まるきり、子どもの体つきだった。
「仕方ない。チルッチが死んだろう」
ウルキオラがなんでもないことのように言う。なにが、と俺は苛立って聞き
返した。それが何だというのだ。
「死んだら負けだ。生き残った奴が勝ちだ。こんなわかりやすいことないの
に、ルピは馬鹿だ」
チルッチは負けたが、ルピは勝ったのだ。あんな状態で、もう戦えもしなか
ったが、それでも生きて帰ったなら勝っていたはずなのだ。負けたチルッチが、なん
だというのだ。ルピはあんなことを言って死ぬべきではなかった。
あんな敗北の表情であんなことを言うべきではなかった。
勝ち誇るべきだった。
仕方がないことなんか、何ひとつないはずだ。
「グリムジョー、それは違う」
黙って運転していたウルキオラは、俺の言葉に静かにそう返した。死のみに
よって勝利と敗北を分けるのは間違っている、と、まっすぐ前を見つめなが
らはっきり言った。
「勝敗を決するのは一人ずつ違う。ルピにはチルッチがそれだったんだろう」
「はあ、なんだそれ。じゃあチルッチが生きてりゃルピは勝ってたとでも?」
「そうだ。それさえ折れなければ、奪われなければ、死してさえそいつの勝利なんだ」
「バッカみてえ。ていうか何、お前。変だぞ」
「そうかもな」
俺は体をよじり背中を窓に押し付け、改めて隣の白い横顔をまじまじと見つめた。ウルキオラ
の表情は石のように動かない。そうだこいつは、そういう奴だったはずだ。
何を考えてるか全くわからない、命令を忠実にこなすだけのロボットのよう
な奴だと、俺はずっといけすかなく感じていたのだ。俺のと同じ、戦場の
臭いの染みついた軍服に身を包
むウルキオラはそれでも石像みたいな印象しか感じられない。
それでも今、ウルキオラは俺にも、多分上官や上司らにも理解できないこいつ
自身の言葉を使っている。それは俺に新鮮な驚きをもたらした。
俺はウルキオラが自身の考えを口にするのを、おそらく初めて見たのだ。
「俺は、」
ウルキオラは少し逡巡するように
言葉を濁し、それから「そう思う」と呟いた。小さくはあるがはっきりとした声だった。
俺は思わず、はあ、と溜息をついて、お前にも思ったり、感情とか、そういうの、
あったんだなあ、と言った。
「当り前だろう」
ウルキオラは本当によく見なければわからない程度に眉を
寄せてそう言った。「生きてるんだから」
それからしばらく黙って、尻の下でエンジンの振動する音や、タイヤが砂利を巻き込む音
ばかりが車内に響いた。俺は進路方向の、荒涼とした大地に視線を戻す。
生きてるんだ、というウルキオラの言葉が妙に耳に残って離れなかった。
そうして埃っぽいフロントガラスのほうを睨みつけているうち、
俺は段段不愉快になってきていた。ウルキオラの変化の原因は十中八九、捕虜の
女だろう。上の命令で、死神の国からこいつがさらってきたのだ。
なんの役に立つのだか俺は知らない
が、男共の慰みものにされることもなく、小奇麗な部屋で、
ウルキオラ一人が静かに見張り役をつとめていた。
女が時々ウルキオラと会話しているのを俺は見たことがある。きっと、あいつに
影響されたのに違いない。
俺は初めて見たウルキオラの内面のようなもの、が敵によってもたらされたもので
あることに、今は嫌悪を感じるし呆れている。俺はこいつの超然としたような
冷静さが気に入らなかったし、無機物のようだと馬鹿にしながら自分より実力が認め
られていることに苛立って、一言でいえば嫌いだったのだけど、それでも
同胞には違いなかったはずなのだ。俺は隣のウルキオラを力をこめて睨んだ。
裏切り者。声には出さずそう詰り、ふと、ああ俺はこいつを信じていたのだ、
と気付いた。信じていたから裏切られて腹が立つのだ。
「グリムジョー」
また急に、ウルキオラが口を開いた。俺は返事もせず黙ったままでいた。
「何を不機嫌になってるか知らないが、俺はずっとそう思ってたんだ。切っ掛けは
あの女でも、これは俺自身の答えだ」
「そんな軟弱な考えがか」
俺の攻撃的な物言いにも動じずに、ウルキオラは静かな視線を俺に寄こし、
戦う理由は必要だ、と言った。
「お前の言うように死だけが敗北だというなら、
何故お前はこんな戦場にいるんだ。お前は勝ちたいんだ。
ルピにだって、本当はまた戦いにいかせようとしたんだろう。
お前は生きることに固執してるんじゃなく、勝つまで戦ってまた勝つために、
どうしても生き残らないといけないんだ。ただ生きたいのではなく戦って
生を勝ち取りたいんだろう。俺にはお前の勝利が、自分の生を認めさせることのように
思える。何に認められたいのかは知らないが、
それだって理由だ。
お前にとっての守るべきものがそれだというだけだ」
ウルキオラは淀みなくそれだけそう言って、一瞬俺を横目で見た。
俺は半端に開いた口がふさがらなかった。なんと返せばいいのか、よく
わからなかったのだ。ただ無性に苛立ちが募って、ふざけんな! と
怒鳴りつけた。「わかったような顔しやがって、馬鹿にしてんのか」
俺が唸るようにして言うと、ウルキオラは相変わらずの涼しい顔で
「いや」と返し、「俺はお前のそういうところは、嫌いじゃない」と言った。
俺が再び二の句を継げずにいるうち、ウルキオラは唐突に「あ」と小さく声を
上げると一瞬の動作で助手席のドアを開き、走る車から俺を外に蹴り飛ばした。
同時にハンドルを大きく右に切り猛スピードで俺を振り切ると、
激しい砂埃をあげてでたらめな方向に突き進んでいき、飛ぶように
十数メートル走ったところでバンパーに爆撃が落ちた。
「あ、」と俺がバカみたいな声を上げた時には二発目がジープの天井に突き刺さり、
地面が揺れたのを見たけど何も聞こえず、
最初ので耳が駄目になっていたことにやっと気がついた。
無音の世界で俺は遠くに吹き飛ばされ
、地面に肩から落ちて息も出来ないくらいの鈍痛と
体中の鋭い痛みに聞こえない叫びをあげながら、
目だけは変に冷静に、ジープから天高く燃え上がっていく火柱を眺めていた。
目を覚ますと白い壁と、自分の血まみれの腕が見えた。
腕には何か、小さな破片のようなものがたくさん突き刺さっている。
白衣を着た誰かの手が、
ピンセットのようなものでそれを一つずつ抜いていっては
銀色の皿の上に集めていく。破片は白く、
ところどころ俺の血でぬるついている。
ひどく眠かった。
頭の上から、目が覚めた? という声が聞こえたが、それに
応えるのは億劫だった。
夢の中から外に話しかけるみたいに口が不自由だ。声は目の前の手
の主らしい。俺がなにか言いたげなのに気付いたのか、息を漏らすように
微笑む気配がした。これね、と言って破片が皿に放りこまれる。
「ウルキオラの骨だよ」
ああ、だからあんなに白いのか。
俺はすとんと納得して、また気を失った。
それから数カ月経って、戦争はまだ終わらない。
また少し劣勢になったようだ。敵の数は多い。
だが兵士の質では、こっちが上だ。でなければあの死神相手に、
こんな小さな国がここまで戦っていられるはずがない。
であるからこそ、俺はまだ戦っている。
片腕をなくした俺はそれでもまだ兵士で、戦士だ。
俺はあれから煙草を吸うようになった。片手で煙草を咥え、マッチを擦り、
火をつけることにも慣れた。
常に持ち歩くマッチ箱にはウルキオラの骨が入っている。
あの時俺の腕に突き刺さり、ザエルアポロが抜いたあの破片だ。
退院後にザエルアポロがにやにやしながら手渡してきたそれを、俺は
意味もなく持ち歩いている。形見だとか、そんな薄気味悪いことは考えていない。
大体俺たちはそんな関係じゃなかった。なかったはずだ。
だからこれは、いつの間にか奪い返されていた、あの捕虜の女
にでもやればいいだろうと思っている。いつか会えたらの話だが。
俺は煙草を吸いながら、時々そのマッチ箱を耳の横で振ってみる。
マッチ棒のざらざら流れる音に混じって、ウルキオラの骨が箱にぶつかる
小さな音がする。俺は目を閉じてその音に耳を澄ます。
そうして、ウルキオラは、勝ったの
だろうか、と考える。
『ワールドオブライズ』