引き継ぎの時期が近付いてきたので、冬は身支度を整えて春のもとへ向かうことに
しました。仕事を終えることにはそれなりに解放感を感じましたが、
春に会うことを思うと、冬は憂鬱な気持ちになりました。
冬は春とあまり気が合わないのです。
常に冷静な冬は彼と喧嘩などしませんでしたが、大概のものと同じように、
彼もまた春に嫌悪感を抱いていました。春は今頃、まだ地中深くに潜り、いつものように
趣味の悪い生き物を創造していることでしょう。冬は去年、春の「研究室」で目にした
剥製や標本、トレイに山積みにされていたものや手術台の上の「なにか」を思いだし、
溜息をつきました。それは冷たい風となり、地上の人々の首筋を冷やしました。
「やあ、来たね」
春はその白い顔にぽつぽつと赤い点を散らしたまま、冬を迎え入れました。
ついてるぞと冬が指摘すると、彼は、ん?と首を傾げて指の先で自分の頬を
撫でました。春の顔が真っ赤に染まりました。
「よけい伸びた。取り込み中すまんが引き継ぎだ」
「あーほんとだ、はは赤いな。顔洗ってくるから、ちょっと待っててくれ」
血塗れの顔で微笑んで、春は部屋の奥に消えてきます。冬はそれを見送り、そして
あたりに散乱している
生き物の部品やなりそこないに目を向けて、ひっそりと眉を寄せました。
机の上に並べられた水槽には、粘液にまみれて蠢く薄桃色の肉塊や、
妙に俊敏な黒い毛玉のようなものが収められています。
そういった春らしい趣味の創作物に、冬が「早く帰りたい」とうんざりした矢先、
春がティーカップを二つ盆に載せて戻ってきました。
春はいつも、冬を長く引き留めようとします。
彼らが顔を合わすのは一年に一度だけで、引き継ぎの時以外は
会うことも禁じられていました。だからこの唯一の機会に、春はここぞとばかりに
自分の創造物を自慢したり、
春に撒いたそれらがどうやって死んでいったかを、詳しく聞きたがるのです。
「目のないやつと丸いのは寒さで死んだ。
ゴキブリ喰うやつはまだ
少し残ってるが、そんなにもたないだろう。卵も産んでないみたいだ」
「なんだ、あれには期待してたのに。他は?」
「裏返ったのは夏も秋も見てないらしい。濡れてる黄色のあれは、秋は
知ってたが、俺のときにはもう見なかった」
「まあそこらへんはそんなもんか。秋はなんて言ってた?」
「『いい加減にしろ、兄弟』…あとはいつも通り」
「病気とか気違いとか?ふふ、カスのくせに生意気な」
「どうでもいいから、早く済ませないか」
冬はいい加減、嫌気がさしていました。似たような会話を、もう
何百回と続けてきたのです。彼の兄である秋と同じく、冬も春にはもう
いい加減にしてほしいと思っていました。
冬は結局一口も口にしなかった紅茶を置くと、無言で春の正面に立ちました。
春は有無を言わさない様子の冬に肩をすくめつつも、「よし、やろう」と言って
同じように立ち上がりました。
そうして
冬は腕を伸ばし、春の肩を引き寄せます。
薄っぺらい春の背中を自分の胸に押し付けると、冬は
自分の腕に、少しだけ力をこめました。冬の胸から春へと冷たい風が吹きこみ、
それは春の背中を吹き抜けると暖かいものに変わりました。
これが季節の引き継ぎでした。
「じゃあまた来年」
冬はそう言って、すぐに春から体を離しました。飲んでもいない紅茶の礼を
おざなりにし、さっさと春に背を向けた冬に、春は気分を害した様子もなく
「あいつに伝言はいいのかい」と尋ねました。冬が足を止めました。
「夏に引き継ぐとき、何か伝えておくことはあるかい」
「別に何もない」
「本当に?」
「いらん」
冬は苛々した声をあげました。
「そんなこといいから、」と、喉元まで出かかった言葉を、
冬はなんとか飲みこみました。
「…君は、いつもそう言うけど。あいつも何も言わないけど、
だけど本当は、きっとみじめったらしく
君からの伝言を待ってるよ」
吐き捨てるように言った春に、冬は振り返りました。春は眼鏡をかけ直す
動作で自嘲に歪む顔を隠して、僕だって、と呟きました。
「あいつ悪口以外に、本当に、なにも言ってなかったのかよ」
春、と、呼びかけようとして、冬は湧き起こる違和感に口を閉じました。
そんなのは彼の名前でないことを、そして冬が自分の名前なんかではないことも、
彼は
本当は、知っていました。夏だって秋だって、本当は本当の名前を持っていたのです。
だけど季節の誰もが、その真実の名前を忘れていました。
ただ遠い昔に別れた神様が、もうこれはいらないね、と笑いながら
それを奪っていったことだけ、
朧げに記憶しているだけでした。彼らはみんな、かつてはこんな存在ではなかったのです。
でなければどうして、春が秋の、夏が冬の伝言を待ったりするでしょうか。
秋が春のことを兄弟、と懐かしげに呼ぶのも、そして冬が、
灰色の空の下で夏の抜けるような空の色をまざまざと思い描くのも、
本当はおかしな話なのです。それでも彼らは互いに、
会ったこともない、会うはずもない季節に、それぞれ焦がれているのでした。
かつて、世界を創り変えた神様が言ったことを、冬は今でも覚えています。
その人は柔らかい色の瞳で微笑んで、いつか世界が終わるとき、
と彼らに優しく語りかけたのでした。
「いつか、世界が終わるときがきたら。そのときには、会いたい人に
その季節を渡しなさい」
冬がそれはいつかと尋ねると、私が終わらせたくなったらだよ、と笑みを
含んだ声で答えが返ってきました。
そのときは君たちがここを壊してくれ、という神様の言葉を覚えているから、
冬は伝言を頼むこともなく、今でも待っていられるのでした。
冬は会ったこともないはずの夏を想い、彼の青い髪が空に同化する様子や、
太陽にじりじり焦がされていく地上を見下ろす
あの強いまなざしを思い描いては、世界の終わりを深く深く願いました。
早くあなたがこの世界に嫌気がさしますようにと神様に祈りながら、
彼はそのために、秋の倦怠が全ての生き物から生きる意志を奪うことや、春の創った
生き物が世界を喰い尽くすことを願いました。そして夏の太陽が世界を
焼き尽くし、自身の降らす雪が地上を凍り尽くすことを夢見ました。
それは、四季の誰も抱く祈りでした。
「…ああそうだ、思い出した」
冬が呟くと、春は怪訝な顔で顔をあげました。秋が別れ際にかけた言葉を、冬は
ここでようやく思い出したのです。
「『元気か?』」
あいつは、元気か。と、なんだか面映ゆそうに尋ねた秋の言葉を、
冬はいつもの感情のこもらない平坦な声で伝えました。
春は「なんだそれ」と言って、それでもそれは嬉しそうに短く笑いました。
相変わらず馬鹿な奴だ、と嘯く春が、しかしその実、
ただこれだけのことできっともうどれだけだって
やっていけることを、冬は知っています。冬もまた同じようなものでした。
いつか世界の終りに許された、ただ一度の抱擁のために、
彼は百年だって千年だって待っていられるのでした。
冬が春の部屋を出ると、寒さはすでに緩み始めていました。
空気はまだ冷たく感じられましたが、しかし春のあの喜びようなら、それもすぐに暖まり、
眼下の枯れ木は例年以上のスピードで春の色に染まっていくことでしょう。
冬はそれを見下ろしながら、さっきの春の顔とその先にある夏を思い、
なんだか急に、自分もまた彼に、「元気か」と聞いてやりたい
気持ちになりました。千年万年の間に、神様がここを見捨てる以外のことも待ってみた
いと思ったのです。そして彼は、夏の答えを待つこの一年のことを考え、
「悪くない」と呟くと、春のほうへ踵を返しました。
横切る風はますます色づいていきます。
そこからは春風も見えるでしょう
春夏秋冬=ザエグリイルウルでイルザエでウルグリ
で一番美しい季節がグリムジョーなとこに藍グリをも感じて
頂けたら助かります
20090403