さみしいと花になる病気が虚圏に蔓延してから半年たった。もともと静かだった
虚夜宮だが、今は耳に痛いくらいの静寂で廃墟じみてきている。
そろそろ予防薬くらい出来てないかとザエルアポロの自宮を訪れてみたが、部屋の主は
いつの間にか無数の花びらになって床に散らばっていた。結構な時間がたってい
るらしく、桃色の花弁の端は茶色く変色していた。それでもまだしつこく残る
甘ったるい匂いを振り払うつもりで踵を返す。ここに来ることはもう二度とな
いだろう。
自宮に戻ると俺のベッドにウルキオラが座っていた。近寄ればいつもどおり白い
腕を腰に絡ませてくる。ベッドの上に寝かされて首に纏わりつくウルキオラの唇
を大人しく受けながら、そういえば藍染様に呼ばれていたんだった、などと思い出
している。行く気はさらさらないが。ウルキオラはいつもどおり不愉快そうな顔で俺の体をまさぐっている。「心などなく、」最初に散ったのは誰だったか。数字持ちか十刃か。直接は見ていないが、黄色い花になったということだけ伝え聞いた。「命もとうになくした
」藍染様はこの病気が流行りだしてから破面、とくに十刃を呼び出すようになっ
た。さみしさを取り除くため、一人一人に声を掛けていった。「そんな俺たちがさみし
さで死ぬなんて」それでも追いつかなかったようで、「花になるなんて」ここは
どんどん甘い匂いと朽ちた花で満ちていった。「なんて冗談だ。そうは思わない
かグリムジョー」
ぼんやり見上げた白い顔はいつもどおり無表情だ。動きだって
いつもと変わらない。気持ちよくもなんともない。「今日はよく喋るな」と言う
と、そうか、とだけ返して口を閉じた。花にならないように俺はこの行為に耐え
ていて、ウルキオラもそのために常からは考えられない熱心さで俺に触れる。誰
かといればさみしさは紛れる。触って引き寄せて中に入って、近くにいればいる
ほどさみしさは紛れるはずなのだ。
「ザエルアポロがやられてた」
そういえば、と思い出したことを教えてやると、ウルキオラは「ノイトラもだ」と
言った。
「あれの従属官が死んだのが悪かったな」
ノイトラの後ろにいつもくっついて歩いていた数字持ちを思い出そうとしたが、
朧気な輪郭しか浮かばなかった。あいつは花になったのか、ただ死んだのか。あ
あいう奴にも、藍染様はたしか声を掛けていたはずだ。お前が大事だとか期待し
ているとか愛しているとか、お前だけだとか。そんなことを言って抱いてまわっ
ていたはずだ。
「グリムジョー」
不意に、ウルキオラの手の平が俺の目を覆った。こんなときでさえこいつの手は
磁器みたいに冷たい。ひんやりした硬い指が、俺の眼球を瞼の上からしっかりと
押さえこんでいる。なにしてんだと聞いても、ウルキオラは俺の名前を呼んだき
り答えない。
「おいウルキオラ」
「グリムジョー」
「手ぇどけろよ」
「グリムジョーおまえは」
「ウルキオラ、」
「お前はいつも藍染様のことばかりで」
「ウルキオラ、なあ」
「こんな時ぐらい俺のこと考えたらどうなんだ」
「ウルキオラ、なんか、」
「俺はずっと」
「甘い、匂いが」
「一緒にいたって、本当はずっと、」
言葉の途中で急に視界が開けた。目を圧迫していた冷たい指は消えて、代わりに
真っ白い花が降ってくる。纏わりつく甘い甘い花の匂い。俺の体一面を覆いつく
すように白い花弁が降り積もっていく。
花をすくい上げ、しばら
く眺めていたが結局床に落とした。どうしようもない。体についた花を払い、服
を着て部屋を出るとき、少し考えてから一つだけ拾いあげた。
「グリムジョー、それは?」
無人の廊下を歩いていたら藍染様に捕まった。
呼んだのにいつまで待っても来な
いから寂しかったよと微笑まれ、どういう冗談だと思っていたら手の中の花を目敏く
見つけられる。
「ウルキオラです」
俺の前で花になりました。そう答えるとこの人は一瞬息をのみ、そして何も言わず俺の腕を引っ張って歩きだした。藍染様、と呼びかけた俺に、僕の部屋に行こうと、振り返りもしないで言った。
「部屋についたらしよう、グリムジョー」
藍染様はやっぱり振り返らず、早足で歩きながら妙に固い声でそんなことを言う。俺の腕を掴む冷たい手はウルキオラほどではないものの、けして熱くなどならない。冷たいな、とぼんやり思う。ウルキオラよりずっと冷たい。
「お前まで消えたら堪らないからね」
十刃で残ってるのは、もしかしたらもう俺だけなのかもしれない。
俺は孤独に慣れていたし、さみしいなんて、今更すぎてわからなくなっていたから。
多分強さは関係ないのだ。力にしろ心にしろ、それがどんなに強くあろうとさみしさに
は敵わない。そうじゃなきゃセスタの俺が残るのなんておかしいし、そうじゃな
きゃ、藍染様が俺に、こんなに優しいわけはない。
「グリムジョー、部屋についたら」
病が蔓延して、藍染様はみんなのところに足繁く通っていたけれど、俺のところ
に訪れたのはたったの一回だけだった。
その一回、こうなる前にされていた暴力みたいなセックスじゃなく、ただ優しく
抱かれ優しい言葉をかけられて、そのせいで、俺はそれに縋りたくなってしまった。平気だったのに、期待してしまった。この人にとってはただの、手駒を確保しておくた
めだけの行為だったのに。
「僕はお前に、言いたいことが、」
言いかけて足を止め、藍染様はようやく振り返って俺を見た。あ、と声をあげて目を見開く、その呆然とした顔が水浅葱の花弁に霞んでいる。甘い匂いが強く香った。
「グリムジョー、駄目だ」
藍染様の手が俺の腕を引き寄せようとして、宙をかいた。
薄青の花がいくつも床
に零れていく。
「だめだだめだ。いくな」
藍染様の動揺した顔を初めて見たせいで、俺は少し笑ってしまう。そこからまた
崩れていった。だめだ、と呻いて藍染様が俺に手をのばすたび、視界はどんどん
青く染まっていく。
グリムジョー、僕は本当は、本当に。
そう言う藍染様の声は悲痛に満ちているように聞こえるけど、それはどんどん遠ざかっていくから実際はどうなのかわからない。
水浅葱の花が足元に積もって、その足も形を崩していく。散らばる思考で、だか
ら会いたくなかったんだ、と思う。思い知ったらこうなるとわかっていた。
ふと、視界いっぱいの青の中で白い花がひとつ、視界をかすめていった。降り積もった水浅葱の山に混じったそれを見て、一緒にいても、というあの声が甦る。あいつもこうだったのかなと、そう思うと今更、後悔の念が湧き上がってくる。ウルキオラごめん。そう強く思った瞬間俺の全部は吹き飛ばされた。