神のような存在がいたとします。
それが一人でも、数人でも、組織のように構成されていたとしても、好きに仮定してさしつかえはなく、ともかくその「神」が、万物の魂を生み出しているとします。かれらは魂をデザインし、制作・製作して出荷ラインに乗せ、世に流通させている、とします。世に出たそれらの魂は、そこで半永久的に成長したり磨耗したりを繰り返し続けます。

ある魂は陸の植物としての生を終えたのち、魚として海に生まれ、漁師に喰われたあとは獣となり、花として散って魚に戻り、それから人となり、そこで盗みを繰り返し野垂れ死んだあとは生涯僧として徳を積み、鳥になって感電死すると人間の女から牛として産まれて畏れ崇められ、座敷牢で一生を静かに終えたあと綿の一花として咲き、摘まれ、縒られ織られて一着の死装束となって、死んだ赤ん坊を抱き込んで今なお地中深くで眠っています。神はその全てを見ています。自身の生み出した魂の移り変わりやそれの経験する幾度もの生を、泣いたり笑ったりして眺めては感嘆の息をつき、悦に入るのでした。予想もつかない魂の変化が、神、もしくは神たちにとって唯一の娯楽でした。

世界の隅々にまで魂が満ち、オートマチックに変化を続ける無数の営みを夢中になって眺めるばかりで十分事足りる頃でも、神は時折箸休めのように新しい魂を創造していました。その中のひとつに、雨生龍之介の魂がありました。それはめずらしく、最初の生で人となった魂でした。とはいえそんな魂は彼が唯一という訳でもないから、彼が「死」の探求にその生涯を費やし、数十人の魂を好き勝手に次の生へと向かわせたのはそれだけが理由ではなく、また神自身にもそのように意図した覚えもないのだから、ただ彼はそうだった、そのように出来てしまった、としか言い様がありません。ともかく雨生龍之介は自身の信じる哲学や宗教観に則ってその最初の人生をまっすぐ突き進み、最期には自身のはらわたに真実「死」の実感を得て死んだあと、常人と同じように彼もまた輪廻の流れに乗って、一匹の羊として転生しました。



寒い国の牧場で生まれたかれはそこで、毛を刈られるために生きるごく普通の羊として、言葉もなく哲学もなく、前世の記憶も当然なくして、ただ自分のもくもくした毛に顔を埋めてぼんやりと生きていたので、龍之介であった頃は存分に発揮された魂の素質のようなものも当然表に出ることはなく、その毛を仲間の血で赤く染めることもせずにまるきり大人しく、牧羊犬に追われる毎日を静かに過ごしていました。
ある日、牧場の柵の下でかれがまどろんでいると、背中に小さな人の手を感じとりました。見れば柵の合間から短い腕を伸ばし、かれの毛をいっぱいにつんだ首周りを撫でる子どもの姿があります。小さくて暖かい手が気持ちがよく、目を細めるかれに、子どももまた、心地よさげに小さな笑い声をあげて一心にかれを撫でています。すこしだけ子どものほうへ頭をもたげた羊の目と、子どもの真っ黒い瞳とがぶつかったとき、かれらの背後で法外な時間が一気に突き抜けて、かれの魂は一時、雨生龍之介へと引き戻されました。子どももまたぴたりと手を止め、目を見開いて目の前の羊をじっと見つめ返しています。なにか言いたげに口を開きかけ、閉じ、また逡巡するように開きかけたものの、結局はそのなつかしい名前を口にすることは出来ず、静かに口を閉じ、子どもとも思えぬ老成した微笑みを羊のかれに向けました。龍之介も出来ることなら笑いたいと思いましたが、言葉も持たぬ羊の身ではめぇめぇと喉を震わせ、子どもの腕にその身をそっと寄せるくらいしか出来ません。もどかしげに何度も鳴き声をあげるかれをあやすように、子どもはその優しい腕で懸命にかれの毛を撫でました。そのうち、大きな鞄を抱えた子どもの母親がやってきて、珍しくむずがってそこに居残りたがる彼に驚きながら、最後には強くその腕を引いて、帰って行きました。子どもは旅行者の子どもでした。半ば引きずられる様に連れていかれる子どもは何度も振り返り、再会した龍之介の魂との再びの別れを惜しみました。龍之介も何度も何度も鳴き声をあげて子どもを見送りましたが、その姿が見えなくなるとまたただの羊となって、真昼の陽気の気持ちよさに再び目を閉じ、獣のまどろみの中へと戻っていきました。


羊がその日出会ったのは、かつては青髭、聖なる怪物を恐れられたジル・ド・レェの魂でした。
それは、ジルとして生きた生涯で受けた悲しみと怒りと悔恨の強いあまり、輪廻の輪から外れ、転生もできず、そのときの形のままいびつに留まり続けていた魂でした。そういった魂は彼だけではなく、多くはないけれど、そう珍しくもありませんでした。しかし彼が雨生龍之介に呼ばれ、ふたつの魂が出会う過程はあまりない、かなり稀な機会でありましたし、そのなかでもかれらのそれは特別イレギュラーなものでした。本来ならば絶対に、出会うはずもなかったふたりです。なによりこのふたりが神の目を引いたのは、この有り得ぬ出会いがもたらした結果でした。真実の「死」を知りたがるあまり他の魂を翻弄しはしゃぎまわっていた生まれたての魂は、赤子がようやく寝付くように最後は大人しく納得して次へ向かいましたし、正しい肉体も持たないまま剥き出しの魂を歪ませ続けていたもう一方は、数百年ぶりにようやく再び輪廻の輪に戻り、正常な転生を繰り返すこととなったのです。それは互いが互いに各々勝手に掴んだ救済ではありましたが、やはりその時間その場所で出会ったのがこのふたりでなければ辿れぬ結果であるように神は思い、またそこに至るまでのある意味では無駄のない、すべてがすべて、最期の瞬間のために息をひそめて控えていた伏線であるような鮮やかな生死に感じ入り、神自身無意識に、誰に聞かせるでもない賞賛の手を数度打ち鳴らしました。その音、その振動が、どうにかして、かれらのその後のみちゆきに影響したのかもしれません。どのような姿に転生を繰り返そうと、かれらはいつも出会いました。



龍之介が今度は年中真夏の国に咲く色の強い花になったとき、それは鑑賞魚のジルが長い尾鰭をゆらめかせて回遊する、ぬるい水槽の置かれた窓辺にその花弁を開きましたし、ジルが地を駆け猟師に追われる獣であったときは、幼い少女の目をした龍之介と、食卓の上で腹をさばかれる最期の瞬間に顔を見合わせ、ふと微笑みあいました。
売れない音楽家があるとき書き上げた一曲として生まれた龍之介は、埃っぽい路地裏で演奏されながら通行人のなかに懐かしい影を見つけると、忘れ去られ消滅する音楽としての生涯の中で一番美しい音となって、彼のまわりの空気を震わせました。手元の書類から顔もあげず足早に歩き去ろうとしていた青年のジルは弾かれたように突然脚をとめ、目を閉じ、肌と鼓膜を震わす龍之介の魂に聞き入りました。演奏が終わると分厚い手のひらで盛大な拍手を送り、嬉しそうにはにかむ音楽家が彼に握手を求めるのに一瞥もくれないで、また忙しげにその場から去っていきました。
広い川を挟んで向かいあった山の、頂上と中腹を歩く別々の旅人同士として、遠くに見える古い馴染みの小さな人影に大きく腕を振り合って別れることもありました。雲雀となった龍之介が、ある春の盛りに桜を満開に咲かす古木のジルのもとに訪れ、その花の芯を食べた日もありました。閑散とした平日の動物園で、恋人そっちのけの龍之介が、目のふちに涙をいっぱいに溜めたマレーバクのジルの檻の前から、焦れた彼女に腕を引かれるまでずっと離れなかったこともあります。かれらは何度も出会っては別れ、また忘れて、死んでは生まれ直して、そうしてまた、一度だけ交差する運命を姿かたちを変え繰り返し続けました。



……たくさんの時間が流れてゆきました。
二人はいつも、何度も出会ったけれど、その邂逅はいつだって一瞬で、そのうち魂の記憶に残る互いの面影も古く霞んだ残像のようになっていきました。次に会っても、わかるだろうか? そんな疑問が一瞬の邂逅の合間、二人の間に過ぎるようになった頃、二人の魂はある一冊の本に縫い留められました。

それは冬木の、第四次聖杯戦争を記録した本でした。
大昔に行われたこの戦争の概要と結果。参加したマスターとサーヴァントの来歴、各陣営の勝敗。
すでに聖杯戦争そのものが解体されて久しい頃に書かれた本です。資料は古く少なく、調べられる範囲でのみまとめられたそれは当然穴が多く、憶測や推測も含まれ、また書き手の思い入れで偏ったところも多分にある、不完全な記録でした。書き手自身が自分のための覚書として書いたところが大きかったので、魔術師の間でも流通することはなく、ただ彼の書斎の本棚と、かつて彼が教鞭をふるった魔術師学校の膨大な書籍のなかに一冊、紛れ込んだだけでした。書かれ、製本されて更に長い長い時が流れた頃、曖昧な記憶と僅かな資料をもとに記録として残された「雨生龍之介」と「キャスター(真名:ジル・ド・レェ)」は、自分たちに魂があること、ここが輪廻の通過点のひとつであること、そして、また出会っていたことにようやく気が付いたのでした。



そのときは、互いにほとんど同時でした。
はっと、白昼夢から醒めるような気分で、目を見開き何度か瞬きを繰り返して隣同士ならんで立っていたお互いと顔を見合わせました。首を傾げ合い、そのままなんとなく黙ったままうろうろと行間と歩き回り、句読点に脚をとられそうになりながらページを飛び越え、自分たちの現在地を理解してから、改めて互いに正面から向き直りました。そして書物の中の記録らしくずっと黙していた口を開いて、面映いような気持ちで、「旦那」「リュウノスケ」と大昔の懐かしい名を呼び合ったのでした。

「また会いましたね、リュウノスケ」
「うん、旦那。俺たち、いつも会ったね」
「いつでも、何度も会いましたね。気が遠のくほどの時間が流れて、本当にたくさん、色々なことがありました」
「俺もね。実を言うと、もう旦那に会った頃のことも、ほとんど覚えてないんだ」
「私もです。仕方のないことですよ」
「そう、そうなんだよね。……だけどね旦那。とても楽しかったことだけは覚えてるよ。どのときよりも、最初の、例え数日でもあんたと一緒にいれたあのときが、多分だけど一番、楽しかった」
「ええ、知っていますとも。私もです。でなければこんなに毎回出会って、尚且つ互いに互いがわかる筈がない」
「やっぱ、そう? 会いたかったの、俺だけじゃなかった?」
「もちろんですリュウノスケ。どの時代でも、あなたがどんな姿をしていても、私にはすぐにわかりましたよ」
「俺も! そんなの、俺もだよ。旦那のことはいつだってすぐにわかった。どんなときでも、旦那に会えたときはいつも、はじめて会ったときみたいに勝手に胸が躍るんだ」
「ふふ、私もです。あなたの音楽ほど、心が弾むものはありませんでした」
「旦那は肉も蜜も、目が覚めるくらい美味しかったよ」

そう言って微笑みあう二人の間に、話は尽きませんでした。数え切れないほどの生を一瞬とはいえ交えてきた二人です。あのときの、あなたのあの香り! とジルが賞賛すれば、あのときの、あんたのあの色! とリュウノスケも負けない興奮を持って惜しみない賛辞を送り返すのでした。しばらくそうやって、手を取り合わんばかりに話し合って一息ついた頃、ジルは「ずっとこうしたかった」と言って、満足げに目を細めました。

「あなたと会えるのは喜ばしかったけれど、本当はずっと、こんなふうにまたあなたと話がしたかった」
「俺もだよ旦那。……あはは、あんたをまた、旦那って呼ぶことになるなんて……リュウノスケなんて、また、呼んでもらえるなんてなぁ」
「私は嬉しいですよ?」
「言っとくけど多分、俺のほうがずっとずっと嬉しいよ? 旦那。……ふふ、こんなさ、最初に戻るなんて、さぁ……」
「嘘みたいです」
「ま、嘘っちゃ嘘かもなんだけどさ。この記録、微妙に間違ってるとこ多くない?」
「私たちなんて散々な書かれようですしねぇ」
「はは、それはまぁしゃーないよね! でも俺らだけここにいるってのも、変な話だよね」
「我々だけが、やはりずっと、また話し合いたいと願っていたからではないでしょうか」
「最初の姿でまた話せるのなんか、きっともうこんなとこだけだろうしね」
「けれどそういえば、リュウノスケは作り物が嫌っていませんでしたか?」
「ああうん、覚えててくれたんだ。そうだね、俺はずっとリアルを求めてた。その俺が、自分自身作り物になっちゃうなんて笑っちゃうよね。でもさ、俺はあの頃探し求めてたものはもう手に入れてる。旦那のおかげでね。だから、もういいんだ。それより旦那にまた会えたことのほうが大事だよ」
「あなたの前向きさは相変わらず素晴らしい。ならば私もあなたと再び、今この生を楽しむとしましょうか」
「やった! 俺、旦那と一緒ならどこだって楽しいよ!」


……こうして、幾度も転生を繰り返した末にこの狭い世界に閉じ込められた二人は、けれどその幸運に歓喜し、手を取り合い、出会った時と同じ姿で今後本が朽ちるその瞬間まで共にいられる長い長い時間を思って、その幸福に微笑み合いました。
いつか、図書館ごと燃えて灰になる日が来るかもしれない。終末の洪水に世界の外へと押し流されることがあるかもしれない。けれどそのときまでは、彼らはこの狭い記録の中でふたりきり、めいっぱい楽しみ続けるつもりです。

ひとけのない図書館の深い地下、閉架の書棚の奥から時おり、大昔に忘れ去られた曲を楽しげに歌う声がして、その声の先にある、古い古い記録の上の、第四次聖杯戦争の被害者総数が、今も増え続けているのはそのためです。