目の前には円いケーキ。火のついた蝋燭が立てられた、誕生日を祝うケーキだ。
いつだか彼に自分が用意したものとよく似た……いや、そんなことは本当にあったろうか? あり得ただろうか? わからない。
それでもその情景、涙さえ浮かべて感激する彼の表情や、生クリームからはみ出した私の海魔を見つけた瞬間の弾けるような笑い声は、確かにまざまざと思い描くことができるのだ。たとえそれが本当ならありえない夢だろうと、幻だろうと、ただの理想の妄想だろうと。
そこまで考えて、不意に思い出すものがあった。
古びた井戸。実際には存在しない、私の頭の中の想像の産物。現実にはありえない、美しい理想だけでつくりあげた夢の国。
私はかつて、そういうものを自分の頭の片隅につくり上げたのではなかったか。
「願い事をして火を吹き消すんだよ」
そう言ったのは、やはり彼だったろうか?
俺はもういいや、と言って火のついたままケーキにかぶりつこうとして私を慌てさせた彼。
だって旦那が来てくれたんだから、俺もう願い事なんかないよ、と食べる前から満腹そうな顔をして笑った彼は、やっぱり、私の都合のいい妄想なのかもしれない。けれどそれでもよかった。自惚れかもしれなくとも、彼なら、もし私が本当に彼のため、彼の生を祝うならば、きっと同じことを言うだろう。同じように笑ってくれるだろう。そう、信じられる。信じられるだけのものを彼はくれた。思うだけで胸が充たされて幸福だった。こんな暗い、目の前にぽつんと置かれたケーキしか見えないような訳のわからない寂しい場所に一人きりでいても、私にだってもう火を吹き消す理由なんかひとつもない。
「そんならそれは、あんたが忘れちゃった気の毒な彼のために」
不意に、暗闇に響いた声はかつての記憶か夢か妄想かそれとも。
「火を消そう」
背後から肩を掴まれる。
私の肩にかかるあの美しい手が、闇の中でも振り返らずとも、正しく見える気がした。ああ、そこにいたんですね。
頭上から覗き込まれて、ばたばたとケーキの上に真っ赤な血と、ところどころ焼け焦げた脳髄が降りかかる。
あ、ごめん、と軽い謝罪、それから「すっげぇキレイでしょ?」という誇らしげな声。
ええ実に、と頷いて、私は血塗れたケーキに顔を近づける。
思い描くのは忘却の彼方で一人きり嘆いているだろう私の分身。理想の私。幸福の。
ならば傍らには彼がいなくては。
ふっ、と一息で蝋燭の火を消したあとは塗り込めたような暗闇。
誕生日おめでとう旦那、と背後の闇が私を後ろからそっと抱きしめる。
20120910 / Happy Birthday !