「I want you to hit me as hard as you can」


私人混みって嫌いよ、とさっちゃんは言いました。
満員電車とか悪夢ね、絶対に他人の体のどこかしらに、絶対に触らないといけないじゃない。 息苦しいのも嫌だけどあれが一番許せないわ! さっちゃんは拳をふるって力説しています。 腕に下げたたくさんの袋が揺れるのを高杉は眩しそうな目で見ながら、 うんうん、と頷いていました。二人の前では銀時と土方が お昼をどこで食べるかで喧嘩しています。 銀時はバケツパフェが名物の喫茶店に行きたいと言って、 土方は甘いもんが飯になるか、とつっぱねていました。

今日は日曜日で、天気も曇りなので、 クラスメイトの4人は街に買い物に来ているのです。もっと晴れていたら 動物園に行きたかった、と土方が言って、銀時が小学生かよと馬鹿にして 言いました。4人は地元にはない大きなファッションビルに行き、土方と高杉はCDや本 を見て回り、銀時は時計が欲しいと言って長い時間をかけあれこれつけてみて、 さっちゃんは秋物のスカートを何度も試着してから いくつかの小物と一緒に買いました。銀時は結局手持ちが足りない、と言って名残惜しげに 店を出て、土方と高杉は贔屓のバンドや作家のマニアックな話をしてけらけら笑いあい、 さっちゃんに「きもい」と言われて憤慨していました。

買い物を終えて、お昼をどこで食べようか決めかねたまま、4人は とりあえず歩き始めました。一つ先の駅前で何かイベントをやっているらしく、 通りは物凄い人混みでした。銀時たちの前の 女の子たちは、元気そうにはしゃぎながらアイスを 食べながら歩いています。高杉の隣ではカップルが手を繋いで ゆっくりと進みます。女のほうは紺色の浴衣を着ていました。 華やかに着飾った若者の間を、スーツを着た若い男が苛立たしげにすり 抜けていって、その腕がさっちゃんの細い傘にぶつかりました。 天気予報では夕方から雨だと言っていたので、みんな傘を持っていたのです。 男は振り返りもしないですぐに人混みの中に紛れて見えなくなりました。 ちっと、さっちゃんが隣の高杉にだけ聞こえるくらいの舌打ちをしました。

人混みって、私、嫌いだわ。
舌打ちをしたさっちゃんは不機嫌な顔で 吐き捨てます。高杉はさっちゃんの買った、綺麗な色のスカート の入っている、柔らかで優しい色をした袋をちらりと見下ろしました。 さっちゃんの白くて細い腕にかかる袋は頼りなげに揺れています。 さっちゃんは眉をしかめ、邪魔そうにそれを腕に掛けなおすと、 歩くの遅いなあ、と苛立たしげに呟きました。視線は 斜め前のカップルに向けられています。

「こういう人混みって消費社会が生み出した負の遺産のひとつよね。 みんな買ってるから買わなきゃって思わされてるから、買ったらみんなに 見せなきゃいけないって思わされる。だから人の集まるところにみんな見せびらかしに 出かけるの。出かけるために買うのか買うために出かけるのか、どっちにしろ 見栄よ」

「うん」
高杉は適当に相槌を打って、さっちゃんの顔を横目でうかがいました。 さっちゃんはカップルの先の、銀時と土方を見ているようです。
「カップルとか家でいちゃついてろっていうのよ。歩くの遅いし邪魔だし」
さっちゃんがそうやって毒づきながら、なんだか真っ青な顔をしているのに、 高杉は気付きました。高杉が大丈夫? と声をかける前に、ああ、もう!  とさっちゃんが小さく叫んで、唐突に深く、俯きました。
「さっちゃん、」
「最低だわ」
俯いたまま、さっちゃんはそう言いました。長い髪が顔を覆ってしまって、 表情はわかりません。最低だ、とさっちゃんは繰り返し呟きました。

「恋人同士が街に出るのだって同じよ。恋人のいる自分をまわりに 知らしめたいのよ。人混みにまぎれて触れ合って、人を観客にしたてあげるのよ 。ううん、観客にもならない。あれにとってまわりの人間はいないも同然 なの。二人の世界を囲む壁なの。演出のための書割なの。 秘め事を完成させるための道具でしかないの。 馬鹿にしてるわ。私たちは生きてるのよ。笑ったり悲しんだりしてものを考える 人間なのよ。食事をするし買い物だってするし、恋だって、私、私……」

さっちゃんはそこでとうとう、立ち止ってしまいました。 後ろを歩いていた人たちが迷惑そうな顔で二人を睨み、追い越して行きます。 前を歩いていたはずの銀時と土方の姿はとうに見えません。 高杉はただ黙って、さっちゃんの隣に立っていました。
さっちゃんは今、別に泣いているのではないことを、高杉は見えずとも わかっていました。ただ自己嫌悪と、寂しさに押し潰されそうになって、 脚が泥にとられたみたいに重く、動けなくなっているだけなのです。 目の前が真っ暗になるような、心臓の止まるような自己嫌悪と、今必死に 戦っているのです。高杉にはよくわかりました。

なぜなら、高杉も同じだったからです。高杉も、さっき、前を歩く 銀時と土方が一瞬、こっそり手を繋いだのを目撃していました。
最初に腹が立って、それから泣きそうに寂しくて、悲しくて、 また腹が立って、心の中で思いつく限りの呪詛を二人めがけて投げつけて、 そんな自分が心底嫌になって、そうして最後に 寂しさだけが残るのです。高杉の胸にもこれらの感情は 湧き起こっていました。高杉はただ、そういうものを押し殺すのに慣れていただけでした。

「だって、私だって銀さんに恋してるのよ。土方だって大事だわ。 私、二人のことが大好きなのよ」

さっちゃんは「こんな扱いってないわ」と ぽつりと呟くと少し顔を上げ、目の前の人波をぼんやりと した暗い目で見つめました。高杉は表情を変えずにそれをじっと 見ていましたが、しばらくして、躊躇うように小さく口を開きました。 何度か迷うように口を動かし、「さっちゃん。さっちゃんは、」と 言いかけては考え込むように視線を宙に彷徨わせます。 さっちゃんが訝しげに高杉のほうに顔を向けると、静かな目をした高杉と まっすぐに目が合いました。

「さっちゃんは廃墟となった、駅前のビル群の大峡谷でヘラ鹿を追う。 死ぬまでもつ皮のブーツを履いて、ファッションビルを覆うツタを這い登ってゆく。 見下ろすと穀物を砕く小さな人間、無人の高速道路に並べられた皮を剥がれた鹿…」


そう言ってまた躊躇うように口を閉じた高杉を、さっちゃんはぽかん、と 見つめました。高杉がすこし電波なのには慣れていたので、さっちゃんは 大抵のことは受け流すことが出来たのだけど、今はそんな余裕が なかったのです。何よりあまりに意味不明でした。なんだか怖くさえありました。 高杉は気まずそうに、さっちゃんから視線を逸らしています。 恥ずかしがっているようにも見えます。
「高杉、」
何なの? と聞きかけたさっちゃんの言葉は、「なにしてんの!?」 という銀時の大きな声にかき消されました。 後ろ見たらいないからすげーびっくりした、と笑う銀時と、気にしないで進ん じゃってて悪い、と謝る土方と合流して、4人はまた賑やかに歩き始めました。 さっちゃんは銀時と普通に話すことが出来たし、高杉は銀時と 馬鹿みたいな下ネタでげらげら笑い合っています。さっちゃんは 腕を振って歩きながら、さっきの高杉の言葉を昨日の夢のように感じていました。



その4日後のことでした。
さっちゃんは放課後、昇降口のところで妙にこそこそしている高杉を見つけました。 高杉の目はクマに囲まれ、そして いつもはすかすかの学校鞄が、なぜだか今日はぱんぱんに膨らんでいます。 さっちゃんは嫌な予感がして、高杉のあとをこっそり尾行することにしました。 高杉は普段から大概ろくでもないことを思いついたり実行にうつしたりしているの ですから、いつもと違う様子をみせている高杉など、本当に、 ろくでもないことをしでかすのに違いありません。 いや、だけど逆に、とさっちゃんは前向きに考えようとしましたが、果たして高杉は 先日のファッションビルの従業員用トイレに忍びこみ爆弾を取り付け始めました。

「な、なにしてるの」
さっちゃんの声に、高杉は配線をいじっている手を止めました。そして そしてひどくばつの悪そうな 表情で、さっちゃんのほうを振り返ります。高杉は便座の上に乗り、天井の隅 を開けてそこに爆弾を設置しているようでしたが、さっちゃんに気付くと 「さっちゃんここ男子トイレだよ」とへらへら笑いながら それを奥の方に押し込みました。まるで彼女か母親からアダルトビデオを隠すみたいな 様子だと思いましたが、さっちゃんは全然笑えませんでした。

「なにしてるの高杉。それ何?」
「ケーキ……」
「爆弾みたいに見えるけど……ていうか爆弾にしか見えないよ。ねえ本物なの?」

そう言うと高杉は黙ってしまって、高杉! とさっちゃんがもう一度 呼びかけてようやくさっきの爆弾をひっぱり出し、便座から下りました。

「多分本物……」
「多分って何」
「自分で作ったから……」

高杉は便座に腰かけてうなだれています。大丈夫なの? と聞くと、まだ準備 してないから爆発はしないよ、と言いました。しょんぼりする高杉は 肩に学校鞄を掛けたままで、覗いてみると、中には同じ爆弾がみっしりと 詰まっていて、さっちゃんは眩暈を起こしかけました。 なんなの、あんた なんなの! と、さっちゃんは叫びます。人が来るとまずいので 声を押さえた分、そんなつもりもないのに、涙が浮かんで しまいました。高杉は慌てて、さっちゃんごめん、とおろおろし始めました。

「ごめん、でもここなくなったら、せめて人混みが減ると思って」

高杉はさっちゃんを気遣わしげな目で見つめて、そう言いました。
「俺でもそれぐらいは出来ると思った」と言う高杉に、さっちゃんは本当に 泣きそうになってしまいます。せめて? 俺でも? それくらい? パルコを爆破して、 残りの爆弾で伊勢丹と東急と高島屋と丸井とを爆破させるのがそれくらい?

けれど、さっちゃんは高杉は電波で頭がおかしいのをよく知っていましたが、それでも、 高杉の今の言葉の正しさも、わかっていました。 人混みをなくすためだけのそのテロ行為が、本当に 「それくらい」でしかないのを、高杉もさっちゃんも知っていたのです。 パルコが吹っ飛ぼうと高島屋が崩れ落ちようと銀時と土方は手を繋ぐのを やめないし、キスだってセックスだってするでしょうし、銀時は近いうちきっと 土方を動物園に連れていき、土方はもうすぐやってくる 銀時の誕生日にでも、あの時計を買ってプレゼントするのでしょう。 ならば、高杉の鞄一杯の爆弾になど、なんの意味もありはしないのです。

それでも、さっちゃんはトイレの濡れた床に膝をつき、高杉を力いっぱい 抱きしめます。高杉が大事だ、とさっちゃんは強く強く思いました。高杉は さっちゃんの肩口に額をあてて、さっちゃん床汚いよ臭いよ、などと軽口を叩きました。 高杉は照れていました。

「ケーキを食べて帰ろう高杉、そしたらこれ、川に投げて捨てちゃおう」

高杉はしばらく黙りこんだ後頷いて、さっちゃんがそれいいならいいよ、と言って、 俺モンブランがいいなあ、 と笑いました。 さっちゃんはトイレの壁を睨み、涙を懸命にこらえながら 、数日前の高杉の言葉を思い描きます。訳のわからない意味不明の言葉は今、さっちゃん の脳裏にそれは克明に、鮮やかに浮かび上がっていました。 それは胸が痛くなるほど寂しい光景でしたが、自分だけのために それを作り上げようとした人間がこの世にいるという、それだけで、さっちゃんは もう何があったって生きていけるように思いました。

ツタで覆われた東急に伊勢丹、雑草生い茂るパルコ、その間を走り抜ける ヘラ鹿、遠い眼下には穀物を砕く小さな人々、無人の高速道路。 自分の脚にぴったり合う、死ぬまでもつ皮のブーツの靴音が、 廃墟となった駅前ビル群の大峡谷に響き渡る。
そこには文明も人混みも、恋もなく、銀時も土方もいないのだ。

さっちゃんはそこまで考えると 高杉を抱く腕に一層力をこめ、そうして涙をまたひとつ飲み込むと、 私は、高杉を好きになりたかった、と思うのでした。







『ファイトクラブ』
本当はロックフェラーで皮ジャンでシアーズタワーで元気出せ、でした。