俺のすこし前を歩く猿野がさっきから延々と話し続けてるのは昨日徹夜でクリア したゲームがいかに感動的なラストを迎えたかについてで、俺はそれに相槌を うちながら猿野の背中を見ていた。十二支の学ランを来た背中はありふれた 高校生のものだし、あまりに見慣れすぎていて何の感想も浮かばない。普通の背中 だった。
猿野が「そしたら実はそいつの親父が…!」と言って拳を握り締め身悶えしたの で俺はうわー(ひくわー)と思い、そして目の前でふらふら揺れている髪に目を移す。 。地毛の割に茶色いこと以外はどこにでもある普通の髪だと思う。のに、 目が離せない気がするけどこれは何だ。 視線がそのへんの、何でもないものに固定されることってよくあるけど それだろうか多分それだろう。いやだからこれは何だ。 弁解するみたいな考えが自分でもおかしいと思う (今弁解という言葉を使ったのもおかしい気がする)。いやもう本当にどうでもいい。 どうでもよすぎるくらいだ。どうでもいいのに。俺はむやみに苛つく。 なんにともなく。誰にともなく。

少し遠くから祭りの音が聞こえる。鐘や太鼓を打ち鳴らす音や、長く尾を引く 男たちの掛声にまじって、質の悪いスピーカーから祭りに協賛している店の名前が 繰り返されている。今日は学校帰りにいつも通る商店街の祭りの日だった。 プラスチックの花が街灯に飾られて、アーケードの下に赤提灯が下げられていた。
俺たちは人混みを避けていつもの通りから二つ三つ逸れた道を歩いている。 人出が全部大通りに向かっているためにか、ここはずいぶん静かだった。 ひとけのない神社は遠くが騒がしいぶん、余計さびれた感じがする。
猿野は 神社の玉垣を意味なくなぞりながら歩いている。俺は二人で花見をした 入学式を思い出している。コンクリートの玉垣は昼降った雨の せいで暗く湿っている。

猿野はまだゲームの話をしていた。ここにきて猿野はずっと喋り続けている。 俺は、多分猿野は祭りが見たいんだろうと、気づいている。猿野は祭りが好きだ。 祭囃子が聞こえるといてもたってもいられなくなるのか、ビーサンをつっかけて 慌てて公園や神社に走っていく。走れ!と叫んで俺に体当たりして駆け抜けていく 様はそこらの小学生よりもずっと楽しそうで馬鹿そうだ。俺は部活以外で走るなんて 嫌だしだるいしで、いつもその背中を見ながら だらだら歩いていた。時々立ち止まり、屋台で焼きそばやラムネを買ったりする。 猿野が振り返り、焦れたようにまた大声をあげる。「走れ御柳!」

俺は猿野ほど祭りが好きじゃなかった。人混みが苦手だし、盆踊りなんかにも 興味がなかった。猿野は全然知らないくせによく盆踊りの輪に入って無理矢理 踊っていた。俺は輪の外で、イカ焼きなんかを齧りながら呆れ半分、 感心半分で眺めていたものだ。さびれた近所の祭りを あそこまで目一杯楽しめるのはある意味才能だ。俺は猿野を少しだけ羨ましく思ったりもした。 猿野みたいになりたいとは思わないが。
とにかくつまりは、そういうことだった。 そういうことだから俺は少し苛立っていて、猿野の話を 全然聞かずに猿野の背中や髪なんかを眺めているのだった。 祭り好きの猿野が二つ三つ向こうの通りに走りだしていかないのは、俺が 祭りを嫌がっているからだ。それを知っているからだ。 いつも無理矢理にでも俺を連れていく猿野が今 無意味な話を続けているのは、俺が人混みを面倒臭がっているからだけで ないことを、知っているからだ。それが俺には苛立たしかった。

最近俺は祭りに行くとなんとなく嫌な気分になる。特に猿野と一緒に行くと それはますます強くなって、すぐにでも帰りたくなる。 公園の真ん中に建てられる祭り矢倉や、神社に立ち並ぶ屋台、そこからたちあがる 煙、祭囃子の音、アーケードの下のプラスチックの花飾り、そういうものが 何故だか俺の息を苦しくさせた。そんなものを猿野と見て回るということが 嫌で、はっきり言ってしまえば、それは恐怖にも似ていた。俺は祭りの 特別な日、という感じが恐ろしかった。俺は日常に戻りたかった。 特別な行事である祭りを猿野とまわっているということが俺には恐怖だった。 これが、何で男二人でこなきゃなんねえんだ、という不満ならよかったのにと 思う。少なくともそう思えたなら。猿野にこんな胸糞悪い気の使い方なんかされずに 済んだのに。



「で主人公はそこでようやく弟の真意にだな…」
俺は思わず立ち止まる。猿野がいつの間にか俺の隣に立って、機嫌悪そうに俺を見上げていた。

「いい加減人の話聞けよ馬鹿」

俺は一瞬言葉に詰まって、猿野の顔を凝視してしまう。猿野の目が不審げなものに 変わる前に俺は口を開いた。

「聞いてた、弟はサラをとられたって思いこんでて兄貴のことを憎んでたっていう…」
「サラって誰だよ」
「聞いてなかった」
「知ってる」

猿野が溜息をついて、いいけどさあ、と言う。それから祭りの音のほうへ、少しだけ顔を向けた。 行きたそうな顔をしている。今にも走り出したそうな顔をしている。 だけどそれをしないのは多分俺のためで、それなら多分、俺の嫌な気持ちを猿野のほうが 理解している。 居心地の悪い苛々がぶり返してきた。俺は恥ずかしいのかもしれなかった。

猿野は頭をがしがしかき回し「あー」と一声あげると(意味不明だ) もう祭囃子に完全に背を向けて歩き出す。人のいない商店街から横道にそれ、 シャッターの閉まった蕎麦屋、奥の見えない古着屋なんかを通り過ぎて、 一人通るのがやっとなくらい狭い道に入っていく。猿野はとことんいつも と違う道を行こうとしているらしかった。俺は生ぬるくこもった空気に 少しうんざりしながらも、なんとなくの気まずさから黙ってついて行く。 道は狭く、猿野の飛び跳ねた髪が時々壁に擦れていた。 民家と民家の間から溢れた山茶花の葉が手の項をざらざらと撫でる。 甘い匂いが一瞬だけよぎり右手のほうからはカレーの匂いがする。ナルトが表紙の ジャンプが足元でふやけている。
前を行く猿野が突然「おー、スマン」と声をあげ、片足をあげると、 その間を黒猫がすり抜けてきた。 俺も猿野にならい、片足をあげて通り道をつくってやる。赤い首輪が 目に映る。

細道を通り抜けるとそこは小さな交差点で、バスの停留所と、どこかのバンドのシールが べたべた貼りつけられた公衆電話しか見当たらなかった。 いつも通る道からそんなに離れていないし、現にまだ祭の音が聞こえてくるくらいなのに、 俺がこの場所に来たのは初めてだった。祭囃子の反対から電車の音が微かに聞こえる。 俺たちが乗ってきたのとあれは同じ電車のはずだ。
道に面した民家の垣根から知らない花が垂れさがっている。 道路脇の溝にオレンジ色の花びらが散り積もっている。 猿野がそれを見下ろしながら、知らない町みたいだと言った。

「なんか旅行に来たみたいじゃねえ?」

そう言って笑うのを見て、俺はふと、息が詰まるような気がした。 息がかすかに苦しくて、それはいつだか、こいつと公園に建てられた 祭り櫓を見た時と同じものだったから、俺はもう諦めるしかなかった。 そうだ、それなら。どうしたって同じことなのなら。なにをしたって、これが最後に 感じてしまうのなら。
こいつとこうやって過ごすことが、なんであろうと俺にとって 特別なものなら。それならもう、それはやっぱり、なんだって同じことなんだろう。


俺は黙ったままさっきの細い道に足を向ける。 猿野が不審げな顔をするのに俺は笑ってみせて、 走れ、と言った。猿野が何か言う前に俺は道に飛び込んだ。ざらつく柔らかな 葉を振り切って濡れた雑誌を飛び越えたところで振り返り、猿野が目を丸くしているのを 見て、今度こそ声をあげて笑ってしまう。
「猿野、走れ!」
猿野が驚いたあと、にやっとするのを見るか見ないかのうちに、俺はまた体を反転させて 走り出す。後ろから猿野の駈け出す足音が聞こえる。俺たちは音の割れたスピーカー と祭囃子のほうへ、小学生よりも馬鹿みたいに笑いながら走って行く。


















20081106