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ネタバレしてます。あと足立←主人公で足主な死にネタです。
大丈夫そうな方のみスクロールしてどうぞ。
足立さんが自殺したので、葬式に出ねばならなくなった。
叔父さんは喪服に着替えながら何かに
堪えるような顔をしていた。俺も制服に着替え、叔父さんの後ろをついて歩いた。
まだ日が暮れ切らず、外は少し明るい。薄明るい夕方の空の下、生温かい風に
鯨幕がゆっくりとはためいていた。
アスファルトには腐りかけた桜の花びらが張り付いている。
季節はまだ春だった。山野真由美と小西早紀を落としてすぐに、
足立さんも自分で飛び降りた。
足立さんのお葬式には全然人がいなかった。
遺書には二人を殺したことがはっきりと書かれていたし、
それには犯人しか知らないであろうことも含まれていたけど、
物証もなく殺害方法も意味不明ということで、黙殺されたようだった。
それでも、なにか感じるものはあったのか、
もともと付き合いが薄かったのか、
こっちの警察関係者は叔父さん以外少し顔を出すだけで、
皆すぐに帰っていった。東京からやって来た彼の両親も、
なんだか他人事のような顔で淡々と喪主をつとめていた。
それは寂しいお葬式だった。
あいつがなあ、叔父さんは不機嫌そうな顔を作って言うけど、
内心きっと傷ついている。短い付き合いでも、叔父さんはそういう
優しい人だった。
大丈夫ですか、と声をかけたら少し笑って頷いて、
「お前は足立のこと、知ってたのか?」と言った。俺は黙って、頷いた。
俺は知っていた。あの人が
また山野真由美を殺したことを、
その死体を目の当たりにして、
また嘔吐したことを。小西早紀も殺したことも、
あの情けない笑顔の下、世の中クソだなと毒づいていたことも、知っていた。
覚えていた。
あの、赤くて暗い場所。酷薄そうな笑みと傲慢に広げられた痩せ
た両腕。突き付けられた銃の冷たさ硬さと、撃鉄を起こす音と、引き金をひく、無
表情に青褪めた、あの。俺は全部、覚えていた。
あの人は生きるのが面倒で、でも死ぬのも嫌で、
まわりじゅうに当たり散らしていた。
厭世的で投げやりな悲観主義、虚無主義? それでいて、あの人は死にたがりでは、
けしてなかった。世の中が悪いのだと言って拗ねて、不平不満で頭をいっぱいに
しながらそれでも生きることにしがみついていた。友達の家に遊びに来て、つま
らないと文句を言いながらいつまでも帰らない、厄介な子どものようだと思った
りした。ずるくて臆病な、みっともない生き方かもしれなかった。
だけど俺はそれでも、彼を、彼の生き方を醜いとは思わ
なかった。ただ悲しいと思った。俺は彼を救いたかったのだ。
式場の後ろのほうに立ち、まわりで人が立ちまわるのをぼんやり眺めながら俺は、
これからどうなるのだろうと、ぼんやり考えていた。足立さんがこんな形で途中退場す
ることはこれまでにないことだった。俺は全員を、足立さんをも救える結末を
探して、ずっとずっと駆けずりまわっていた。
でも足立さんはいつも罪を犯すので俺は同じところを、同じ一年を、ぐるぐるぐるぐる、
まわり続けていた。それがはじめて、途中で止められた。俺は久しぶりに
足を止めて、この閑散とした式場に立ち尽くしている。
「気付いてるでしょ」
君、ほんとは、気付いてるんでしょう。あの人はあの場所でしか見せないは
ずの顔で俺を見据えてそう言った。ふたつか、いや確か、ひとつ前の、
酷く暑い夏の日だった。
なんのことですか、と俺は知らぬ顔をして答えた。足立さん
の言ってること、わかりません。足立さんは胡乱そうな目をして俺を見た。
短い前髪が汗で額に張り付いて、首筋にもたくさん汗が滲んでいる。
何度も何度も繰り返したその夏の、何度も見た彼の暑苦しい姿だった。それ
でも彼のそんな顔とそこで対峙するのは、この夏で初めてのことだった。
「君たちが色々調べまわってるのも、知ってるよ。けど君は最初から、いつも、
全部わかってるみたいな顔をして、僕を見るよね」
今にも剥がれ落ちそうな、うすっぺらい笑顔から俺は、そっと目を逸らす。
そんなもの見たくはないのだ。うだるような暑さと耳鳴りみたいな蝉の声が
頭にずっと響いていて眩暈がしそうになった。足立さんの声はまだ続く。
俺は足立さんのいつもの、寝ぐせの残る頭のその向こうのあたりを見ながら、
ああ今回も駄目だったなあ、と思っている。
近頃の足立さんは自分の犯行をわざとほのめかしたり、あからさまにぼろを出し
たりする。俺はそのたびに気付かないふりを、聞かなかったふりを続けている
。そのうち霧はどんどん深くなる。
彼の顔がこっち世界で時折暗くすさむ。
俺は全部見ないふりして、こんにちは足立さん、と彼に笑いかける。
おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい、足立さん。
また明日。足立さん、呼びかけるたび足立さんの顔が微かに歪んで、
俺は絶望的な気持ちになる。足立さん。足立さん俺は、
あなたを、助けたいだけだよ。
しかし願い虚しく足立さんは罪を犯して俺は目を耳を口を、塞いで。町は霧に
沈む。そして俺はまたここに帰ってくる。俺を知らない足立さんに、俺は何度も再会して
いる。今度こそはと祈りながら。
「足立さんの言ってること、俺、全然わかりません」
今回の足立さんも駄目だった。またやった。あとはもう、消化試合だ。
だから俺はもうこの足立さんを見逃すつもりで、戸惑ったように微笑んでみせた。
足立さんの顔が、いつか見たように歪んだ。
「…気持ち悪いよ、君」
なんとでも言え。
もう何回も繰り返したので、あの人も時々、気付くことがあった。
例えば俺が回避したのに仲間が彼に気付いて、糾弾して、彼とあの場所で戦うことに
なった時。あの時、あの人は僕に止めをさす寸前でふと手を止め、ゆっくりと首をかしげて、
「はあ?」と言った。「なにしてんの、君」
何のことかわからなかったし、俺はもう疲れていたから、
なんの反応も返さずに黙って彼の背後の、赤い空を見ていた。
俺はこの足立さんにもう用はなかった。俺が見ているのは、次の再会だけだった。
足立さんが俺の髪を鷲掴みにして、頭に銃口を突き付けた。顔を無理矢理上げられて
目に入ったのは、足立さんの、怒りで引き攣る顔だった。
「なにしてんの。はあ?はああああああ?なに?意味わかんねえ。
なにしてくれてんの?ていうかなにがしたい訳。なあこれ、何回目だよ。
何回これやってんの?馬鹿じゃねえの」
青褪めた顔で喚き散らす足立さんを、俺は少し驚きながら見上げて、
「俺は、」と言いかけて咳き込んだ。喉が掠れて声が震えた。
「俺は足立さんを助けたい。罪なんか背負って欲しくないんです」
「はあ…?はは…すごいね。さぁっすがヒーロー様、って感じ?
は、余計なお世話なんだよクソガキ」
「違う、違います。俺は足立さんに人なんか殺してほしくないんです。俺が嫌なんです」
「だから、なんで」
苛々した声をあげる足立さんに俺は焦り始める。綺麗事じゃ駄目だ。
正しいだけなのも、駄目なんだ。俺は正しくなかろうと、間違っていようと
みっともなくとも、ただ彼に届く言葉をかけたかった。
「だってもっと一緒にいたかった」
必死で絞り出した、でも心からの言葉は結局俺自身の願望でしかなくて俺は悲しかった。
足立さんの顔から一瞬、怒りも苛立ちもなにもかも、一切の表情が消えて、
それから顔を大きく歪ませると、躊躇いもせず引き金を引いた。
焼香のために棺の前に立つ。蓋が閉じられているのは、
頭から落ちて死んだからだろう。
中には彼の肉片が詰まっているのかもしれない、
なんて、子どもじみた空想をしながら焼香を済ませた。
遺影の中の彼は少し若くて、なんだかぼんやりした顔をしている。
もっと他の写真を選べばいいのにと思いながら、彼の面影をあまり感じない
父親に向かって礼をした。
山野真由美と小西早紀を殺したのは僕です、
と書き残して足立さんは飛んだ。マヨナカテレビのことも書いてあった。
葬式や墓はいらないが、両親がやるというのなら自分の貯金を
使ってくれとあり、最後には「堂島さん本当にごめんなさい」と
書いてあった。俺のことなんか、一言も書かれていなかった。
俺たちは今回まだ名前も知らない間柄だったから、当然ではあった。
それでも俺は、確信している。あの人はきっと俺を思い出した。
遺書を書く時も書かない俺のことを思い浮かべたはずだと、
信じている。最後の夏のあの笑みを、俺は覚えていた。
「気持ち悪いよ、君」
なんとでも言え、と俺は思い、また気付いたかな、と彼を窺う。
変には思っているが、これまでのことを思い出したかどうかはわからない。
しかしもう、どちらでもいい。今回は駄目だった。次のことを考えなければ。
俺は曖昧に微笑んで、それじゃあまた、と言って彼に背を向けた。俺が歩き出して
もさよならを返さない彼が、いつもの声で、しかし荒い言葉遣いで
「甘えんじゃねえよ」と言った。
「期待をするな他人に。ましてや大人に」
振り返って見た彼はもう暗い目も、すさんだ笑みもしていなかった。
仮面の能天気な笑みだってなく、ただ少し疲れた顔で俺をまっすぐ見つめていた。
「諦めなよ。無理なんだよ、もう。だからさあもう、
ガキはガキらしく、馬鹿みたいに根拠のない自信とか希望持って、馬鹿みたいに自分だけ
信じてればいいんだよ」
「…意味がよく」
「だから、僕なんかにだらだら期待するのやめたら」
「うるさいな」
ああこの人、思い出してるな、頭のどこかでそんなふうに冷静に考えながら、
俺はたまらず声を荒げた。暑い。蝉がうるさい。なんで、どうしてこの人に、
こんなことを言われなきゃならないんだろう。
「だって、だってしょうがないでしょう。俺だってもう、期待なんかしたくない。
期待をするのは辛いんだ。すごく苦しい。期待が裏切られるのも、駄目だった時のために
あんまり期待しないように自分に言い聞かせるのもしんどいんだ。
でも、じゃあって期待しないなんて、無理だろ。それが人間ってもんでしょう。
俺だって足立さんなんかもう、諦めたい、のに」
喉が詰まってそれ以上なにも言われなかった。一緒にいたいと告白したあの冬の日みたいに、
せり上がってくるものが全然抑えられなかった。足立さん、必死で
絞り出した言葉に、あの人が静かに、うん、と頷き返した。
「足立さん、覚えてますか」
「うん」
「俺ずっと頑張ってきたんです、頑張ってるんです」
「うん、知ってる」
足立さんは頷いて、
この前撃ち殺してごめんね、と悪びれない様子で言った。
なんか、すごく、ムカついたんだよ。とても、耐えられなかった。
そう言う足立さんの声を、俺はなんだか急に、ああ好きだな、と思う。
いつもの真剣さに欠けるその声を、滲む自嘲を、
気のせいかもしれないほどの微かな労りを、叶うならずっと聞いていたいと
思った。
「足立さん、」
「うん」
「足立さん、殺さないで」
「…うん、どうかな」
「殺さないで下さい。女子高生なら俺、紹介してあげますから」
「ははっいいね、それ。うん、紹介してよ」
「やっぱり嫌です」
「なんだよそれ、…ねえ、なあって。泣くのやめてよ」
「足立さん。足立さん、うちで、一緒にご飯を食べましょう。
叔父さんも菜々子も喜びます。
きっと、楽しい」
「うん、うん…はは、君って、本当に、馬鹿なんだねえ」
俺はさっきから馬鹿みたいに溢れて止まらない涙を拭って、顔を上げて彼を見た。
足立さんはいつもの、困ったような頼りない笑みを浮かべて、
「じゃあ、しょうがないね」と言った。
それがひとつ前の、最後の夏のことだった。
山野真由美の死体に吐いてた時にはもう、思いだしてたのかなあと、俺は今回のあの
日のことを思い出そうとしている。同じことの繰り返しであんまりよく、覚えていない。
いつも通り俺は側溝に駆け寄るあの人を横目で見送って、ああ今度こそはと、
思って、いたのだ。あれだけだ。俺がこの年に関わったあの人はあれだけだった。
本当はこの葬式だって出なくていい。
俺はあの人と出会ってないも同然だった。
あの人はそのまま、俺に何も言わず、何も残さず、俺の人生に
一瞬も参加しないまま死んでしまった。
それでも、いやだからこそ、俺は自惚れる。
最後の夏の、あの人のあの笑みを覚えている。あの人は、俺のために
死んだ。諦めきれないでぐるぐる、輪の中を巡り続け少しずつ確かに疲弊していく
俺のために。その輪から外すために。あの人は輪の中から、
諦められない俺をどんと、突き飛ばした。その弾みで自分は高いところから
落ちて行った。あの人は俺のために死んだ。
俺は想像する。
屋上に一人あがる、あの冴えない背中。フェンス
を乗り越える時にはきっと、手が震えている。フェンスの向こう側に立てば膝が
がくがくで立っておられず、しゃがみこんで肩を抱き、眼下の遠い地面と足元を
過ぎる高い風に、うわ怖ぇ、と少し強がって、笑うのだ。震えはどんどん酷くなる。
もしかしたらいつものように吐いたかもしれない。もしかしたら、泣いてさえい
たかもしれない。怯えて、恐怖で顔をぐしゃぐしゃにしながら、死にたくない、
と言いながら、それでも立ち上がり、大きく息を吸い込み、吐き出して、一歩踏
み出す最後の瞬間、思い描いたのが俺の顔だと。最後に呟いたのが俺の名前だと
、俺は信じている。根拠もなくそれでも強く、確信している。
何人殺そうと、殺
されようと、俺があの人に優しい人であることを願い続けたように、それを
諦めきれなかったように、あの人もま
た俺に、子どもらしい健全な心を信じ、願ったのだと。まっとうに生きろとこういう
形で勧めたのだと。俺は深く自惚れて、確かに信じている。
何故なら彼は、本当は優しい人だからだ。
棺の蓋は閉じられたまま、参列者たちが花を供えていく。
白い花の下の、白い木の棺の下で、飛び散ったあの人が嘘みたいにひっそりと、
静かに納められている。俺は今度は、見ることの叶わない彼の死に顔を想像する。
いつか怒りで血の気を失せさせていた、あの時の青褪めた肌の色。
唇はきっと色を失って乾いている。…ああ、そういえば、一度だけ、
彼にキスをねだったことがあった。
彼の良心を信じて、それとなく彼を説得しようとしていた頃、足立さんが
あんまりにも俺の話を聞かず、信じもせずヘラヘラとやり過ごそうとするので、
俺はなんだか絶望的な気分になりまた疲れてもいたせいで、「恋人の言うことなら
ちゃんと聞くのではないか」という妙な、俺にさえ理解不能の
思考の飛躍をしたせいだ。
彼が叔父さんの家に、夕飯を食べに来た日のことだったと思う。
話の文脈を超越して、
「じゃあキスでもしますか」
と言った俺に、足立さんはぎょっとした顔をして、
「疲れてるの?すっごい溜まってるの?」
と結構最低なことを言った。
それから
焦ったような、怒ってるような様子で俺を畳の上に無理矢理寝かせると、
折り畳んだ座布団を頭の下に差し込んで、自分のスーツの上着をかけて
「寝なよ、ね!」と言って俺の瞼に手を置いた。
頭はごろごろして落ち着かないしスーツは
よれよれで心許ないし、瞼を押さえる手は汗ばんで、あまり気持ちのいいものではなかった。
それでも俺は、足立さんが人を心配する心を
残して置いてくれたのが嬉しかった。それでも、なんだか物足りない気がしていた。
思い出して、俺は今更ながら恥ずかしくなって、思わず深く俯いた。
ああ、なんだ。ただ単に、キスがしたかっただけなんじゃないか。
気付いて俺は、人目を盗んで、手の中の白い花にひっそりと唇を落とした。
棺の上にそれを置きながら、俺はあの時ひどく汗ばんでいた、
彼の熱い掌を思い出している。
足立さんの棺は霊柩車に乗せられ、火葬場に運ばれていった。
叔父さんは黙ってそれを見送っている。俺も隣で、
霊柩車が角を曲がり見えなくなったあとも、足立さんを
ずっとずっと見送り続けた。叔父さんが焦ったように、おい大丈夫か、と
皺くちゃのハンカチを差し出してくれるまで、自分が泣いていることにも
気付かなかった。俺は受け取らなかった。
俺はあの人だけを、最後まで助けられなかった。
かつてないほどの悔恨はきっとこれからだってもう、二度と味わうことはないだろう。
嗚咽に喉を詰まらせながら俺は、
俺の醜い恋がようやく終わったのだと、身を持って知るのだった。
さようならのお時間です
20090527