「ダーリンお願いがあるんだ」


伸びてきたネウロの手を反射的にはたき落してしまって、 ああやっちゃったって思って一気に自分の顔から血の気が失せていくのが わかった。ネウロがにっこり笑う。あああ…

「暴力をふるうんですか。酷いです先生」
「わーまたツッコミづらい…ていうかごめんごめんほんとごめん 今日は疲れてるんで無理ですすいません。だから近づかないで」

二人きりなのに例のわざとらしい丁寧な口調で話すネウロの目が笑っていない。 にこにこと唇だけを吊り上げながら 近付いてくる顔からのけぞって、視線を事務所の出口に 向けた、途端、足首を高く掴まれて引き寄せられた。 その拍子に頭がソファから落ちて、ごつん、と大きな音を立てた。

「い、ったあ! なにすんの!」
「逃げるからだ虫め」
「逃げるに決まってるでしょ」
「出し惜しみするようなものでもあるまいに。背中と変わらん。むしろ 肩甲骨の分凹凸があるせいで我輩まえうしろ間違えそうになる」

これだからゾウリムシとの性交には手がかかってしょうがない、と 心底困り果てたみたいな顔して言われたところで さすがに頭にきて、じゃあ、触ってくんな! と怒鳴ったら、ネウロは「はあ?」 という顔をして冷たい目をすうっと細めた。

「触らないと出来ないだろう」
「しないで」
「何故?」
「なんでって、あんたもしかして馬鹿なんじゃないの。 触りたくもないのに触られたくない」

自分で言っていて涙が出そうになった。けどそんなもの見せるのは絶対に嫌だった から、眉間にぎゅっと力をこめて、精一杯睨みつけた。 見下ろしてくるネウロは、相変わらずこっちを馬鹿にしきった顔をしている。 馬鹿め、と吐き捨てると、さっきからずっと掴みっぱなしの私の足首を 肩にかついで私に覆いかぶさった。高く上げられた左脚の付け根がみしりと痛んだ。

「貴様ごときの体に我輩が欲情すると思ったか。思い上がりも甚だしい」
「だったら」

言いかけた私の視界が急に、濡れた生温かいものにふさがれた。 驚いて声を失う私の目の前に、ネウロの大きすぎる舌が ぶら下がっている。黄色い鳥のくちばしから飛び出したそれは、 もう一度私の顔をべろりと舐めると首筋に移動していった。 くちばしの向こうに捻じれた角と、肩越しに色とりどりの鮮やかな羽根が覗いている。 私の胸あたりにある頭がちらりと私を見上げて、その瞳の色だけが、 人の姿の時と同じだった。
ネウロは元の顔でしばらく私の目を見て、それから 「ああまた」と言って笑うと、首を軽く振って人に姿を変えた。

ついうっかり、と言うネウロは、たしかに最中によく、元の姿に戻っていた。 自分で気付かないまま黄色いくちばしを顔に近づけてきたりするから私は おかしくて、ふざけて噛みついたりした。私の口の中くちばしの先が 舌に少し刺さっていたけど、そういう時ネウロは 少し笑いながらじっとして、それ以上の痛みを私に 与えなかった。こんなのは本当に、よくあることで、けれど こんな風にわざとらしくやられたのは初めてで、私はその意図がわからなくて 困ってしまった。

なんなの? と問うとネウロは「まあこうなる程度には興奮しているということだ」 と真面目ぶって言い、こぼれる赤い舌で私の 胸の上をざらりと撫でた。「お前の心に」

付け加えられた言葉に思わずまばたきすると、ネウロは 悪戯が成功した子どものように、それは楽しそうににやりと笑った。





『スルース』